昭和特撮は正義のミカタ(見方)

僕は大学生。昔から漠然と好きなものがある。それは昭和の特撮ヒーロー。といっても、特撮ファンを名乗れるほど好きと思ってはないし、知識もそうあるでもない。けど、なんで好きなのかなと考えると、多分現代社会とのギャップが楽しいからなんだと思う。今回はその昭和特撮の極意を述べてみよう。ミカタによってはディスってるとも捉えられかねんが。。。

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1966年だぜ?

・技術面の創意工夫

今の特撮ももちろん素晴らしいんだけども、面倒くさいことはCGに頼りぱなっしになりがち。それ自体を否定するつもりはないが、当然昭和に十分なCG技術は存在しないで、創意工夫で頑張って作った「特撮」で人々を魅せている。ウルトラマンのバルタン星人の分身シーンなんか「56年前に日本人がこれをやったんか!?」とびっくりするような映像である。人力の苦労が目に見えてより感動してしまうのだ。

 

・価値観のギャップ

特撮番組は主に子供用に製作されてるだけあって教育番組的側面もある。よって平成以降の特撮はどうも分かりやすく道徳的なドラマになってしまわざるを得ないのだ。いや、昭和特撮もきっとそうだったはずだ。けども、やっぱり今観るとおかしいのだ。人も怪獣も血を流して残虐に殺されるし、暴力を正当化するし、辻褄とか矛盾とか関係なく都合の良いように進むし無茶苦茶である。一方で「地球人こそ侵略者であると判明し、迫害された少数原住民は権利主張はどうするのか?」とか子供まずわかんねぇだろみたいな難解な物語を30分に詰めたりもしている。

1972年9月クールが面白い。極右の川内康範原作の「愛の戦士レインボーマン」と極左の佐々木収脚本の「アイアンキング」が同時期に放送されていたのだ。今の感覚ではどっちも炎上することばっかりやってる。良くも悪くも昔の方が大らかで多様性があったように思えるのだ。一長一短でらあるが、個人的にはこっちの世の中の方が面白いかなと考えている。

 

ということで、いつも内容の割に無駄に長いので短めに書いてみた。ここからは伝わる者のみ伝わればいい。僕は「正義のミカタ」というのはこの世に何もないんだと思っている。一人一人が自分なりの「正義のミカタ」を見つけていくしかない。昭和特撮は僕らにヒントだけを与えて颯爽とエスケープしているのだ。ありがとう。